2017年6月30日

社長の手紙 Vol.296

  • 社長の手紙

拝啓

先月末で、第33期が終了しました。
現在、安土税理士事務所で決算書類を作成中ですが、この33期も昨年に続き4億円台の売上計上が出来そうです。
2年連続4億円は今迄にはありません。
専属の営業は2名ですから、コーディネーター・工事課が一体となりチームでお施主様の対応が出来たからです。

しかし、それでも沢山の仕事の中にはお叱りやクレームが発生しました。
その一つ一つが私達の成長の糧なのです。

そのお言葉を頂いたお施主様の為にも私達は改善と成長をし続けなければなりません。
皆さんの労に報いる為に、33期も決算賞与を出しました。
6期連続して出せることは、経営者として幸せです。
そして、今年も又納税を通じて社会に貢献出来ることを嬉しく思っています。
もう34期が始まっています。

新築繰越工事が7棟・大型リフォームを3棟持っているので、今期も忙しくなりますが頑張りましょう!!

~男の約束~

私は、昭和39年広島県立廿日市高校を卒業しています。
クラブは硬式野球部に入っていました。
(1級下には、山本浩二がいました)廿日市高校の野球部は昭和37年~40年が最強の時代だったと思う。
私の学年迄は、建築と木材工芸科がいましたが、その後宮島工業高校に移行している。
野球部員の中で同期で普通科は私と世田の2人だけでした。
クラスも同じ中本先生でした。
世田は主将で捕手・5番を打っていました。
山本浩二は4番で当時投手だったので、2年間山本浩二の球を受けている。
卒業後、頑健な体の世田は家業を継ぎ「海の男」として懸命に働きました。
同期の5人は、毎年高校野球夏の県予選が始まるころ集まって飲み会をしていました。
54歳の時、私は大腸ガン・世田は胃がんの手術をした。
翌年2人とも元気になりまた飲み会を行ったが、2001年(55歳)の時、世田は亡くなりました。
亡くなる半年前、網元だった倉庫の整理のため、我社で新しく倉庫を建てた。
自分の余命を知っていたのでしょう・・2人で色んな事を話しました。
そんな話の中で、家を建替える時は「桝に家を建ててほしい」と言った。
「おお!いい家を建てるぞ」・・・実現できない会話と分かっていました。
しかし16年後の今月6月末、世田の家が完成したのです。
息子さんが立派に家業を継ぎ、そしてお父様と私の約束を実行してくれたのです。
私も約束通り、いい家を造りました。
気密数値 C値=0.39 ㎝2/㎡です。
高気密・高断熱住宅の快適な家で、末永くお幸せに住み続けてください。
ありがとう 世田家の皆さん!!

平成29年 6月30日
旭ホームズ株式会社
社長 桝 卓雄

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